広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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  • 掲載ニュース― NEWS ―

    今週の表紙
    広島で人材ビジネスに注力 / 椋梨 敬介 氏
    NEWSな人
    マツダ3を商品改良 エンジン性能など向上 / マツダ 谷本 智弘 主査
    被服支廠の3次元データ制作 災害に強い測量推進 / 広島県土地家屋調査士会 松林 勉 会長
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コラム― COLUMN ―

                                   
記者が注目する「こぼれ話」
能楽と城下町広島

秘すれば花なり。有名な世阿弥の言葉である。室町時代に観阿弥と世阿弥の父子によって大成された能楽は、とりわけ豊臣秀吉が好み、江戸時代も多くの大名に愛好されて今日まで約600年にわたり受け継がれてきた。花こそ、世阿弥が追求した美学で、表現を惜しみ、隠すことで美しさを伝えようとするところに能楽の面白さがあり、魅力という。何もかもあらわにするより、秘する花、秘伝を持つことによって、いざという時に相手を圧倒できる。修練を重ねた境地なのだろう。
 古くは「猿楽」と呼ばれており、広島市内には能楽に由来する町名が多くある。広島城大手門につながる、現在の中区大手町一丁目から紙屋町二丁目辺りは、江戸期から1965年の住所表示変更まで「猿楽町(さるがくちょう)東組・西組」の町名で呼ばれていた。能楽師や囃子(はやし)方の住む家が軒を並べ、この地に連なり、能装束や楽器類の細工師が住む「細工町(さいくまち)」があった。いまの原爆ドーム東隣の猿楽町に生家があり、そこで少年期を過ごしたナック映像センター代表の田邊雅章さん(83)は、
「被爆直前まで町家のあちらこちらから、謡曲や鼓の稽古の音が聞こえていた。生家は江戸時代から伝わる古い屋敷でした。離れ座敷に板張りの広間があって、祖父は仕舞いを、祖母は小鼓の稽古をしていたと聞いたことがある。当時の県産業奨励館(原爆ドーム)を設計したチェコの建築家ヤン・レツルさんも当家に立ち寄り、親交を深め、広島のお国柄を理解したと、のちに漏れ聞いた。被爆によって能楽ゆかりの町、伝統芸能や地域文化、伝承する人々や町並み、在りし日のエピソードなどは跡形もなく、全て消え去った。いまは能楽という芸能に触れることさえ少なくなった。われわれの世代が、その能楽を伝承していかなければならないと感じるようになり、消された町へ鎮魂を込めて、ゆかりの場所で薪能を上演することができないか。江戸時代以来の歩みを、昔日の面影を思い起こすきっかけにしたい」
 有志が集まり「猿楽町・細工町鎮魂薪能実行委員会」(山本一隆委員長)を発足する運びだ。猿楽町、細工町の元住民らも賛同しており、地域の伝統文化再生に期待を寄せている。今後は幅広く関係方面や市民の賛同を募り、来年11月初旬を目途に、原爆ドームを背景に能舞台を設営し「薪能公演」の構想を描く。
 演能者は、広島藩にゆかりの深い喜多流を対象に、県在住の喜多流大島家を中心に能楽を上演。ワールドワイドで安定して配信できるシステムを選び、無観客方式で世界へネット・ライブ配信する。
 広島と能楽の関わりは地名のほか、橋や川の名などにもある。相生橋、萬代橋、御幸橋、常磐橋、猿候川、横川、羽衣町、住吉町、松原町、霞町、東雲町、愛宕町など、いずれも能の名曲から名付けられたと思われる。
「猿楽町を基に藩主、藩士、そして城下や町村に広がり、芸能として能が親しまれてきた証ではないだろうか。世界最古の舞台芸術とも言われる能を伝えることで広島の町、歴史へ関心を向ける契機になればと思う。われわれ市民の誇りになり、未来へつなぐ架け橋になれば幸いです」

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